1958-07-02 第29回国会 衆議院 議院運営委員会 第13号
大屋敦氏の経歴は、お手元は履歴書も差し上げてあるかと存じますが、明治四十三年に東京帝国大学の工科大学電気工学科を卒業されまして、逓信技師として逓信省にしばらく御勤務の後、実業界に入られ、日本板硝子株式会社であるとか、あるいは九州送電株式会社であるとか、あるいは株式会社住友本社であるとかいったような、幾多の会社の重役を歴任されまして、今日では、いわば第一線を引退されまして、日本工業標準調査会委員——これは
大屋敦氏の経歴は、お手元は履歴書も差し上げてあるかと存じますが、明治四十三年に東京帝国大学の工科大学電気工学科を卒業されまして、逓信技師として逓信省にしばらく御勤務の後、実業界に入られ、日本板硝子株式会社であるとか、あるいは九州送電株式会社であるとか、あるいは株式会社住友本社であるとかいったような、幾多の会社の重役を歴任されまして、今日では、いわば第一線を引退されまして、日本工業標準調査会委員——これは
第二に、電源が開発せられるまでは需給の均衡を得るためには依然として地帯間融通電力に待たねばならんので、昭和二十六年度においても九州送電を含まないで最小限度十三万三千キロワツトの融通は絶対確保せられたい。 第三に、料金の地域差を軽減せられたい。 第四に割当制については、三千キロワツト未満の割当方式は実情に即せんために根本的に改訂をされたい。